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ブログ・野口 誠一
第390回:異常だったバブル期
2012年12月10日
(昭和の終わり頃から平成の初めにかけて、日本をすさまじいバブルが襲った。その間、Aさんの経営はどうだったか。以下つづきである)
今思い返しても、あのバブルは異常だったとしか言いようがありません。今日買った土地が、株が、瞬く間に値上がりしていくのですからたまりません。大企業も中小企業も先を争って財テクに走りました。銀行が湯水のごとく資金を出すのですから無理もありません。10年前に手形のジャンプで苦しみ、その後、自振りゼロに転換した私の目には、異常としか映りませんでした。
やがてバブルがはじけ、土地も株もピタッと動きが止まり、あれよあれよと値崩れしていきます。そのなかで財テクに走った企業がバタバタ潰れました。本業は黒字なのに、倒産を余儀なくされた中小企業も数えきれません。そして金融機関は不良債権の山となり、その処理に公的資金と10年の歳月を要したことは、記憶に新しいところです。それを世間では「失われた10年」と言いましたが、それからさらに10年経っても、日本経済が立ち直ったとは言えないようです。
私はバブルを黙ってやりすごしました。ずいぶん勧められましたが、土地にも株にもいっさい手を出しませんでした。バブルだとわかっていたわけではありませんが、何か異常なものを感じ取ったからです。というのも、その頃すでに工場が老朽化していて大々的にリフォームを考えていたのですが、毎月のように資材が値上がりしていくのです。おかげで私はバブルに踊ることも、もみくちゃにされることもありませんでした。が、その後にとんでもない危機が訪れました。
(Aさんの言うとんでもない危機とは。以下次回へ)この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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