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ブログ・野口 誠一
第379回:家業を継ぐ決心
2012年9月24日
(Aさんがブラジルへ渡って4年目、さらにアメリカへ渡ってひと旗揚げようと決意したところへ、日本から悪い知らせがもたらされた。以下、Aさんの体験発表である)
――昭和34年10月、ブラジルの私の元に、父が肺結核で入院、すぐに帰国するようにとの知らせが入りました。私は急ぎ、帰国の途につきました。パナマ運河経由の貨客船アフリカ丸にとび乗り、45日間の航海で横浜港へ着きました。
父の病気は意外に重く、主治医に「両方の肺をやられているから手術は無理。2、3年は退院できない」と宣告されてしまいました。私は目の前が真っ暗になりました。アメリカン・ドリームはふっとび、これから先どうすればいいのか、まるで考えがまとまりません。何よりも、父が働けない以上、私が一家の生活を支えなければなりません。幸い父の家業である注射針製造の仕事はありましたが、それを継ぐべきかどうか大いに悩んだ末、「継ぐ」決心をしました。
しかし、私はたった3年間、父の仕事を手伝った経験しかありません。とても一本立ちの自信はありません。そこで同業他社の社長に、「注射針用のパイプの作り方を教えてください」と頼み込み、1年間死にもの狂いで技術を覚えました。そして1年後の昭和36年4月、資本金200万円で金属工業の会社を立ち上げました。この会社の名称は私の第二の祖国ブラジル(BRASIL)からとって名付けました。
同年8月、340坪の土地に15坪の事務所、125坪の木造工場が完成しました。いよいよ父の家業を継ぎ、株式会社経営のスタートです。このとき私はわずか24歳の若造にすぎませんでした。(こうしてAさんの経営は始まったが、その後の展開は次回に)この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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