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    ケイ・エム運輸機工 木村正昭社長 仕事極める「プロフェッショナル」

    2019年5月24日

     
     
     

     【福岡】学生時代に買った1台の4トンダンプが始まりだった。

     ケイ・エム運輸機工(京都郡)の木村正昭社長は、当時、大学に通いながら義兄の経営する運送会社で働いていた。

     「大型免許はまだ取れなかったから、4トンのダンプ。あの頃は大学に行くより仕事をしていた」と当時を振り返る。

     仕事に明け暮れる日々の中、事故に見舞われた。整備会社のミスで運転席のキャッチが嵌っておらず、ブレーキを踏んだ際に前のめりに倒れたのだ。頭を打ちつけ、むち打ちにもなったため入院を余儀なくされた。大学の試験が受けられず、留年することにもなった。

     大学卒業後、義兄の勧めもあり、市内のゼネコンに就職する。3年程経った頃、兄の会社が倒産。自身には大阪への転勤話が持ち上がっていた。

     「豊前市の実家も田畑も義兄の会社の担保になっていた。母に一緒に大阪の社宅に入ろうと話したが、手放す日までは住み慣れた家で暮らしたいと断られた」

     そこで自分が会社を辞めて豊前に戻ることにした。地元の企業に就職しても収入には限度がある。

     「だったら何かを始めようと思った」

     そして建設業の許可を取り、事業を始めた。26歳の時である。

     「サラリーマン時代に作っておいた資金を元手にダンプやトレーラを購入し、知り合いが持っていた苅田の土地で事業を始めた。最初は仕事もないため土木会社の手伝いなんかを夜中にやったりしてね」と木村社長。次第に知り合いが増え、仕事も入るようになった。

     そして平成2年、運送業の新免を申請した。物流二法が成立した年でもある。

     「認可制と許可制両方の書類をそろえる必要があって大変だった。運行管理者の資格取得も難しいと聞いていた」と不安があったことも漏らす。だが、木村社長は無事合格し、「0004」番を手にする。

     それを機に、会社名も「ケイ・エム運輸機工」に変更した。平成10年には、自らがロゴマークをデザインし、無限のマークをあしらった。

     今では顧客のニーズに細やかに対応するため40台以上の多種多様な車両を保有する。従業員も30人を超えた。特殊車両を使いこなせ、現場の状態を的確に判断し対応できる腕を持つプロフェッショナル集団だ。

     近々、新たな特殊建設機械を導入する予定だと言う。「仕事を極める」まさにそんな印象を、木村社長の話から受けた。

     幼い頃に亡くした父も祖父も運送会社を経営していた。その血は、木村社長にも脈々と受け継がれている。

     
     
     
     
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