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射界
2017年12月4日号 射界
2017年12月8日
「口耳(こうじ)の学」という言葉がある。耳で聞きかじったことを、そのまま他人に受け売りするばかりで、およそ自分の知識として身についたものがないことを指す。大勢の中には必ず、何事にも「知ったかぶり」を見せて得意然とする人がいる。本人はドヤ顔だが、周囲は教養のほどを知っているから驚かない。
▲いうまでもなく、自らの能力アップには「学ぶ」心を失っては成り立たないと知るべきだ。学ぶといっても「口耳の学」に頼っていては有害無益と言われても反論できないが、それも仕方ない。中国の古典『荀子』に「小人の学は耳より入りて口より出(い)ず」とある通り、同じ学ぶといっても「口耳の学」では本人にとっても有害無益でしかなく、真の教養とはならないと警告している。▲ここに言う小人とは、君子に対比した言葉。君子を「優れた人」、小人は「そうではない人」とすれば理解しやすい。『荀子』は四書五経に匹敵する権威ある古典で、学問について「自分の利益向上」のために学ぶのではなく、「社会のため」に変わってきていると説き、小人は、とかく「売る」という方向に走りやすい。これでは人間としての教養を積むには程遠いと断じているようだ。
▲小人は、我が身の教養不足をカモフラージュするため、周囲に「売り込み」を図って「口耳の学」の知識を吹聴し、「物知り顔」でしゃべり、上から目線での話が続く。世は「おせっかい」と敬遠するが、本人にその自覚は全くないのが特徴。一方、君子たる人は打たなければ響かぬが、打てば響くものを持つ。「口耳の学」で満足せず、「君子の学」を目指して学ぶべきであろう。
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