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ブログ・川﨑 依邦
経営再生物語(150)ゼロになるまでヤル〈事例A〉
2017年4月7日
〈ゼロになるまでヤル〉
一つは、会社ごと売り渡す道がある。15台分の仕事と荷主を肩代わりしてくれるところはないか。そうすれば楽ができ、経営者はホッとする。ところが、それで本当にいいのだろうか。
「社長、探せばどこか引き受けてくれるところもあります。しかし、それでいいのですか。この60年の人生そのものですよね。朝早くから夜遅くまで働き抜いてきた人生を売り渡す—-といった?悲しみ?を、乗り越えていくことができますか。売り渡すのも人生ですが、それでいいのですか」
赤字会社を引き受けてくれるところを探すのも簡単ではないが、それでも探せばある。「わたしには後継者がいません。わたしには思い切った経営改革を取れません。引き受けてくれるところがあれば、それに越したことはありません」
「そうですか、それでは奥さんとよく相談して下さい」
ところが奥さんと相談すると、状況が変わってきた。「やはり、やれるところまでやる」ということになった。確かに、30歳の息子は現状では継ぐ意志はない。でも、この先のことは誰にも分からない。「やれるところまでやりたい」ということである。
経営者いわく、「家内に言われました。?どうせもともとは裸一貫のスタート。ゼロからの出発、振り出しに戻ってもそれも人生よ?。やれるところまでやって力尽きても、それもやむを得ないと腹を決めました。それに、わたしが死んだら生命保険が入ります。それで借金は全部返せますし、生きている限りやるしかありません」
かくして、10%ダウンは泣く泣く飲んだ。その代わり、給与体系を変えた。10年以上の勤務経験のあるドライバー10人に対して、一人ひとり面談した。これからは、ドンブリ勘定やめる。1台ずつ運送収入と、運送にかかわる経費(燃料費、修繕費、消耗品費など)、すなわち車両別原価を毎月きちんと出す。給料は月額賃金28万円とする。賞与は、年2回2か月分(56万円)とする。これを基本保障賃金(年収392万円)とする。この賃金は、所定労働日数分働く限り約束する。それ以上に給料を稼ごうと思えば、車の稼働日数を上げるしかない。別の荷主の仕事をするしかない。深夜、もしくは休日の稼働を上げることである。そのために荷主を開拓する。
「これからは、自分はハンドルを握らない。60歳だから、しんどいからというわけではない。荷主開拓のためだ。コツコツ回る。メーン荷主の取引先が300件ある。この300件をコツコツ回る。そのためには車には乗っていられない。今までの貯えがある限り、ゼロになるまでやる。自分の報酬は新しい荷主が開拓できるまではゼロとする。その分、食いつなぐために自分の貯えを吐き出す。1年間は十分やっていける」
ちょっと前には、同業者のライバルに「信義と商道に背くな。荷物を取るな」と言っていた。生き抜いていくための、大変化である。 -
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筆者紹介
川﨑 依邦
経営コンサルタント
早稲田大学卒業後、民間会社にて人事・経理部門を担当し、昭和58年からコンサルタント業界に入る。
63年に独立開業し、現在では『物流経営研究会』を組織。
中小企業診断士、社会保険労務士、日本物流学会正会員などの資格保有。
グループ会社に、輸送業務・人材サービス業務・物流コンサルティング業務事業を中心に事業展開する、プレジャーがある。
株式会社シーエムオー
http://www.cmo-co.com -
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