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ブログ・川﨑 依邦
経営再生物語(183)後継者をどうする〈事例A〉
2018年4月6日
〈育成がノルマ〉
B氏は経営ピンチの責任を取って退く決心をした。ところが「待った」の声が掛かった。銀行と荷主からである。
銀行いわく「ここでBさんに引退されると、どうやってA社は経営を続けるのですか。これだけの負債を抱えてどうするのですか。今、Bさんに辞めてもらったら困ります。だれが経営するのですか」
荷主いわく「今までA社が立派に経営して来られたのは、Bさんの手腕です。2代目は配車係にすぎません。Bさんが辞めるとしたら、替わりの経営者を育ててからにして下さい。70歳になったから辞める、では通りません。替わりの経営者が育つまで、それこそ80歳になっても続けて下さい」
B氏は創業者との二人三脚の時代(10年間)、2代目を補佐した時代(10年間)を通じて、資金繰りのみならず、社内の様々な問題にも力を尽くしてきた。労務面についても、乗務員教育にも力を注いできた。物流品質の向上を目的として、6、7人の小集団を一班とした班制度を確立してきた。月1回の定例ミーティングを行い、交通事故ゼロ、納品トラブルの大幅減を達成したなど、優秀な班は1年に1回、新年会の席で表彰してきた。
B氏が入社してから20年になるが、班長制度は19年目に入っている。スタートのきっかけはB氏が入社して1年経ったころの新年会にある。20人ばかりの新年会である。宴会の際中に突然ケンカが始まった。殴り合いである。新年会がケンカ会となってしまった。びっくりしたB氏が創業者に問う。
「いつもこんなにケンカになるのですか」
「今年はこれでもおとなしいほうだよ。去年は店のフスマを破って大変だったよ。運転者のレベルというのはこんなもんだよ。でも、こんな調子では来年の新年会は中止だね」
B氏は、このことをキッカケとして乗務員教育に取り組むことにした。目的はコミュニケーションの改善である。確かに酒が入るということもあるが、毎回新年会でケンカになるということは、相互のコミュニケーション不足にあると気付いたからだ。
乗務員は孤独である。ハンドルを握るのはただ一人。コミュニケーションの改善策として班長制度をつくり、小集団活動を行い、年1回表彰式をすることにしたわけである。荷主の開拓についても、自ら荷主の訪問を行い、荷主のニーズの収集に努めてきた。現在、売り上げの50%を占めるメイン荷主の獲得のきっかけもB氏の手になる。単に運ぶだけでなく、荷主のニーズに応えて倉庫をつくり、流通加工を行ってきたわけである。
銀行、荷主からの強力なB氏に対する引き留めによって、B氏は踏み留まることになった。そのかわり2代目社長は、すでに60歳になっていたが、B氏に社長の座を譲ることになった。
2代目いわく「ここまできたら、わたしが社長を辞めます。Bさん、助けて下さい。そのかわり、わたしの息子(40歳)を一人前の経営者に育て上げてください。わたしは経営者としては失格でした」
因果は巡る。歴史は繰り返す。創業者から頼まれたことと同じことを2代目からも頼まれる。B氏の運命というものである。2度の経営ピンチを乗り切ってから、10年経つ。早いものでB氏も80歳。2代目から託された息子も50歳。〝光陰矢のごとし〟である。
「わたしは、何とか2代目の息子を育てようとしてきましたが、うまくいっているとはいえません。どうしたら経営者は育つのでしょうか」 (つづく)
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筆者紹介
川﨑 依邦
経営コンサルタント
早稲田大学卒業後、民間会社にて人事・経理部門を担当し、昭和58年からコンサルタント業界に入る。
63年に独立開業し、現在では『物流経営研究会』を組織。
中小企業診断士、社会保険労務士、日本物流学会正会員などの資格保有。
グループ会社に、輸送業務・人材サービス業務・物流コンサルティング業務事業を中心に事業展開する、プレジャーがある。
株式会社シーエムオー
http://www.cmo-co.com -
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