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射界
2019年1月21日号 射界
2019年1月28日
蕎麦好きの人はモノに凝る傾向がある。自分好みの蕎麦を他に強いたり、蕎麦について蘊蓄を垂れないと気が済まない。それが度重なって周りから敬遠されても平気だ。その傾向は蕎麦職人にも共通する。東京の老舗店を閉じ良質の蕎麦粉を求めて信州の山奥に新しい店を開いた話は有名である。
▲蕎麦好きには、そんな話にも感動する。おいしい蕎麦を食べたくて、遠路はるばるクルマを走らせて食べに来るからだ。そこには徹底して自分の信念を貫く蕎麦職人と、それに応えて受け入れてくれる蕎麦好きの客がいて成り立つ。通常の損得談義では無謀とも思える実行力に爽やかささえ感じる。互いの価値観と存在を認め合った人間的な温みが結晶している。
▲そこで思い起こすのが『孟子』の「己を枉(ま)ぐる者にしていまだよく人を直(なお)くする者あらず」との教えである。孟子は自分の理想とする王道政治を説いて諸国を巡り歩いたが、多くの王は目の前の利害得失に汲々として一向に耳を貸さなかった。そこで弟子たちは、相手との妥協を勧めたところ、孟子は弟子たちに、この言葉で自省を求めたという。
▲確かに、その場の雰囲気や事の成り行きから、妥協の有効性は否定できないが、この一線は絶対に譲れないものが人それぞれにある。世間は偏屈とか頑固者と評するが、その人にとっては〝絶対に譲れない〟ものだ。理屈を超えた固有の価値観として認められる価値はある。この一線を崩さず妥協することなく、信念を貫いた蕎麦職人の一徹さに拍手を送りたい。
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