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ブログ・川﨑 依邦
経営再生物語(141)物流企業生存の道〈事例A〉
2017年1月27日
〈成長の道のり〉
A社は年商30億円の物流会社。長短借入金は総計で20億円余りある。社員寮の土地建物に9億円、物流センターの設備投資で11億円といったところ。社長は現在、55歳。ある地方から都会へ出てきて衣料品店に就職し、10年ばかり営業を担当する。「このまま他人に使われるだけの人生でいいのだろうか」—-。社長は30歳のとき独立する。
普通免許を取得していたので、運送業で身を立てることにした。車1台からのスタート。自らハンドルを握り、その合間を活用して荷主の開拓に励む。毎日、飛び込みを続ける。車も2台、3台と増えていく。10年ばかりして運送業の免許を取得。それまでは業界用語でいうところの白トラ、営業許可なしのモグリ営業である。
A社は営業免許を取得して、本格的な成長期に入った。おもしろいほどに日銭が入り、もうかった。創業期のメンバーを引き連れて夜ごと飲み歩いた。A社長も若かった。働きざかりの40代である。
成長を支えた要因は何か。それは飛び込み営業による荷主開拓力である。この業界はあまり営業をしない、受け身タイプのトップがほとんど。それに反して、A社長は飛び込みを全く苦にしない。配達業務のちょっとした合間を活用して飛び込んでいく。
「私は衣料品店時代に外商で鍛えられていましたからね。日参して高級衣料品を売り付けたときの粘り、熱意が役立ちましたよ」
かくして、免許取得後10年にして車両50台の中堅運送業に成り上がっていく。この業界の平均規模は20台以下で、全体の70%を占める。その中にあって体一つ、車1台からスタートして20年(前半10年はモグリ)にして車両50台は「よくぞ成長したり」である。成長要因には、ほかにコミュニケーション力もあげられる。
A社長は働く一人ひとりの気持ちを大切、大事にする。月1回、全体会議をする。創業期からの伝統である。社員2人のときから50人まで、一貫して変わるところがない。テーマは「交通事故をなくすこと」「荷主に尽くすこと」が中心。月1回、日曜日に行う。その上、会社行事を重視する。社員旅行は毎年行う。初めは国内であったが、ここ5年ばかりはハワイ、香港、台湾、グアム、韓国といった海外旅行である。
創業メンバーを重用する。A社長が初めて採用した社員1号から3号まで、いずれも取締役として引き上げている。
「みんなわたしと一緒にハンドルを握って苦労したものばかりです。海山越えてきたのです」
50人の社員一人ひとりにA社長は積極的に声をかけていく。
「どうだい、体の調子はいいか」「『いつも無事故でいこう』と心に誓っているか」「奥さんは元気か。子どもはどうだい」「荷主さんは何かいってたか」
会話のキャッチボールを続けている。心の交流がある。こうしたコミュニケーション力が、働く一人ひとりのやる気につながる。A社長はゴルフなど一切しない。その代わり、いつも仕事中心でひたすら働く。A社長の馬力が会社を中堅企業へと押し上げていった。 -
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筆者紹介
川﨑 依邦
経営コンサルタント
早稲田大学卒業後、民間会社にて人事・経理部門を担当し、昭和58年からコンサルタント業界に入る。
63年に独立開業し、現在では『物流経営研究会』を組織。
中小企業診断士、社会保険労務士、日本物流学会正会員などの資格保有。
グループ会社に、輸送業務・人材サービス業務・物流コンサルティング業務事業を中心に事業展開する、プレジャーがある。
株式会社シーエムオー
http://www.cmo-co.com -
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