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運送会社
アサヒ産業 ドライバーにスーツ着用
2016年5月27日
アサヒ産業(三橋淳志社長、東京都荒川区)は昭和42年に、三橋社長の父親が創業した。
中学生時代、夏休みなど学校が休みになると、父親が運転するトラックの助手席に座り仕事を手伝っていたという同社長。「この会社を継ぐのは私だということは理解していたし、やりたいと自然に考えていた」と振り返る。
学生の終わり頃から本格的に家業を手伝うようになったが、「視野を広げる意味でも外の空気を吸った方がいい」とのことで26歳の時、当時の得意先であった防水メーカーに就職。そこで物流をはじめ営業やクレーム対応なども担当し、着実にキャリアを広げ、5年後に同社に戻った。
得意先に勤めることで、同社を客観的にみることができたとし、「ドライバーの意識をはじめ、改善しなければならないことを痛感した」。
同社に戻るとまず取りかかったのが、ドライバーの意識改革だ。それまでドライバーは作業着のまま出勤し帰宅するのは当たり前で、茶髪やひげなども問題視されていなかった。しかし、同社長はそこにメスを入れた。ドライバーの通勤に、スーツの着用を命じた上で、茶髪やひげを禁じた。同社長の断固とした姿勢にドライバーらも理解し、納得してその方針に従ったという。
「子どもが幼稚園で、スーツ姿の父親を描いていたということを奥さんが喜んでいた」と、ドライバーから聞いた同社長は、取り組みは間違いではなかったと自信を深めたという。
そうした改善に加え、同社長自ら先頭に立ってトップセールを行うなど営業にも力を入れた結果、同社長が戻って1年後には月間700万円だった売り上げが3500万円と5倍にアップしたという。
41歳の時に病で倒れた父親に代わり社長に就任し、その後も女子野球部の設立や、介護事業への参入など、次々に事業を展開している。
運送、倉庫、介護の三つの柱で展開する同社は年商20億円と、15前、同社長が社長就任時に描いた将来像に近付いた。しかし、「売り上げは描いた通りだが、利益は思い通りではなかった」と、当時描いた経常利益1億円には届かなかった。燃料高騰や運賃単価の下落など、厳しい経営環境が左右した。その上で「慣れ合いが利かないシビアな時代になった中で、提案力をはじめ、『本物』が求められている」と指摘し、「今の仕事を軸に、そこから水平展開して広げていく」とし、当面の目標でもある年商25億円、経常利益1億円の達成を目指していく。
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