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運送会社
防長運輸産業 伊東元司社長「覚悟決めて舵を取る」
2017年10月13日
【福岡】穏やかに、そして不敵な笑みを浮かべながら「覚悟を決めて本社の乗っ取り計画を開始しました」と冗談交じりに語るのは防長運輸産業(粕屋郡須恵町)の伊東元司社長。同社では生体輸送をメインとし、仔牛や無菌豚などの家畜輸送を手がけている。
伊東社長は「家業を継ぐ事はあまり真剣には考えず、のんきに捉えていた」というものの「20歳になったら、どんな事があっても、とにかくやる」と確固たる決意で同社に入社したという。入社後は宮崎県の事業所へ入所。全国から仔牛の買い付けに来る人達への営業活動からスタートした。「市場開催時には、情報収集や営業活動と同時に、本社へのトラックの台数や日程の調整もしていた」といい、業務は多忙を極めた。
「もちろん荷主も一人ではないので、途中で何頭降ろすかなど、積み方にも色々と方法がある」と話し、通常の荷物と違う苦労もあるという。「仕切板やゲージを使用してその都度、レイアウトを変更している」としながらも「生体輸送なので、荷物が歩き回る。振動吸収などトラックに気を使う事は非常に多いが、輸送苦労も他社とは少し違ったもの」と特殊な輸送について語る。
入社して10年が過ぎると宮崎と本社を兼務するようになり、更に激務となった。「その頃は専務として会社全体を見ていた。どのような状況なのかは見なくてもわかっていた、庭のようなものだから」と語るほど、業務一つひとつに集中し、更なる模索を始めていた。
「こうした方が効率良く業務を遂行できる。必要だからトラックを購入する。その一つひとつの過程で本社とケンカを繰り返していた」と語る同社長だが「会社を良くしようと思って発言していただけ」と現場に立つ両親にも譲る姿勢は見せなかった。「家業のある家庭に生まれたことは運命。だとすればそれを最大限に生かすべきだと思った。社長である親に文句が言えるのは特権。周りの意見も拾いつつ親に進言した」と語り、その先には今後の会社経営という視野が見えていた。
「受け継ぐ、となるとこれまでやっていることをそのまま続けること」とし、「『会社を乗っ取ろう』とふと思った。乗っ取ることが出来る力がなければ会社経営は出来ない」と独自の答えを導き出した。そこにはただならぬ覚悟や思考の変化もあったといい、「思えば入社してからずっとそうだが、やっていることはすべて自分の経験となっていた。とはいうものの、30代に入ると信じられないほど悩みまくった」と語る。「辞める覚悟を持って開き直ることで未来は開けた。前向きになれた瞬間だった」と当時を振り返る。
オンオフの切り替えもしっかりとしている同社長。「子供が小さい頃はトレーラ式のキャンピングカーを購入して週末になると家族、知人の家族達とキャンプに出掛けていた」という。「子供が野球を始めたため、家族でのキャンプに行けなくなったが、現在は所有している大型バイクに乗って一人でキャンプに行く」という。ツーリングとキャンプを楽しむアウトドアな同社長だが、そこに一眼レフカメラも趣味に加わった。カメラは子供の野球にも役立っているという。「バイクに乗って好きな場所で心地よい風を受け、きれいな風景を撮る。とても贅沢な時間」だと語る。
「こうした時間を社員にも取って欲しい。心さえあれば体は動く。ノンストレスの状態が大事。休日にリフレッシュし、気持ちを新たに仕事に取り組む」と、休息の重要性を説く。
リフレッシュした頭脳は更に回転が上がり、「本はほとんど読まないので勉強不足」だとしながらも「PDCAサイクルを正常に回すことが最も重要。これは日常の中でも当たり前のように行っているはず」とし、「『仕事はおせっかいであれ』は私の信条。確認をし過ぎてマイナスな事はない。人も会社も細かなマイナーチェンジを繰り返し成長する」と語る。さらに、柔軟性が大事と付け加え「人を見て仕事をするのではなく、ものを見て仕事をする。これも大切な考えの一つ」とし、「必要だと認識される仕事をすべき。顧客のために仕事をしている」と説く同社長。「私の顔を見て仕事をしないように」と注意するという。
「やりたいこと、すべきことは口にし、会社全体で共有する」とチームプレーも忘れない。「次はプレミアムフライデーを導入しようかな」と笑いながら語る同社長、本気とも冗談とも取れる穏やかな眼でこれからの未来をも覗く。
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