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ブログ・野口 誠一
第17回:倒産の前触れ第12条/銀行に無理な資金計画を提出したとき
2004年2月23日
倒産の前ぶれ15カ条の第12条は「銀行に無理な資金計画を提出したとき」である。
この数年、銀行は貸し渋り批判にさらされてきた。が、私に言わせれば、銀行は常に、中小企業に対しては貸し渋ってきたと言っていい。それを批判するつもりはない。むしろ当然のこととも思う。なぜなら、融資はリスキーな行為であり、そこに厳しいチェックが入るのは当然だからである。が、借り手はなかなかそのことに思いが至らない。
八起会へ相談に訪れる経営者の大半は、異口同音に銀行の貸し渋りや貸しはがしを非難し、まるでそれが苦境の原因だと言わぬばかりに訴える。が、はたしてそうか。それは彼らの持参した帳簿を見れば一目瞭然である。銀行ならずとも「とても怖くて貸せない」ケースが少なくない。しかし彼らは、「この急場さえしのげればなんとかなる」の一心で無理な資金計画を立て、それを銀行に提出する。が、そこが倒産の一丁目だとは気付かない。
経営は数字である。その数字に暗い経営者は、足元の見えない灯台も同然であろう。私はそれを灯台経営と言っているが、そういう会社に融資する銀行はまずあるまい。が、借り手はそれを貸し渋りとなじり、恨む。とりわけ倒産者の恨みは深い。私どもの会員のなかにさえ、こんな声がある。「銀行に裏切られた。バブルのときは借りてくれの一点張りだったのに、いきなり貸し渋りとは許せん。銀行に潰されたようなものだ」。そんな声に対して私は言う。「銀行を恨むのはよしなさい。負債もふくらんでいたはずです。銀行は灯台経営の危うさを教えてくれた恩人じゃありませんか」。
1日も早く、銀行が喜んで融資してくれる企業になろう。それが八起会のスローガンである。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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