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ブログ・野口 誠一
第288回:財産の全てが消滅
2010年10月8日
八起会創立30周年記念セミナーでもう1人、倒産から見事に再起した経営者にスピーチしていただいた。有明工業の梅崎猛彦さんである。「私はこうして再生した」という内容で、以下はその生の声である。
みなさん、こんにちは。梅崎と申します。ご紹介にありましたように、昭和32年、長崎県から上京して今日に至っております。私のふるさとは長崎県諫早市で、有明湾干拓の近くです。昭和6年生まれですから、76歳になりました。本日は、会社が倒産してから今日に至るまでの経緯について、お話をさせていただきたいと思います。
私の会社が倒産したのは昭和55年2月です。倒産の原因は、私に経営能力がなかったことがいちばんですが、前年の昭和54年に、1200万円ほどの受取手形が不渡りになったことが直接のきっかけです。最初の2回は手形を買い戻しましたが、そのあとがどうしても続きません。足を棒にして金策に奔走しましたが、どうにもなりません。あとは倒産へ一本道です。
債務額はおよそ8000万円でした。私にとっては大きな額です。とても手当てできる額ではありません。といって債権者に黙っているわけにもいかず、お詫びかたがたすべての債権者に「会社を継続できません。大変申し訳ございません」と連絡しました。
その翌日のことです。最大の債権者がトラック2台と大勢の人を引き連れ、私の家に押しかけてきました。それはそれは大変な見幕で、私はなんともいえない重圧を感じました。私の家にそれほど金目のものはなかったのですが、その頃、娘のために買ったピアノがありました。それを強引にトラックに積み込んで、ほかの何やらかにやらといっしょに持ち去ってしまいました。もちろん自宅も取られました。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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