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ブログ・野口 誠一
第291回:何より家族養うため
2010年10月29日
仕事場は建築現場の足場の上でした。経験がありませんから最初のうちは怖くて、足も体もガタガタ震えました。しかし、人さまがやっているんだからできないはずはない、と自分に言い聞かせ、歯を食いしばって頑張りました。やがて時の経過とともにだんだん慣れてきて、私はさらに一生懸命働きました。
その防水工事会社には30人くらいの仲間がいましたが、みんな私に対して、「あいつはバカだ。働きすぎだ。何かに取りつかれている」と非難しました。それに対して私は、「そうだ。私はバカだ。取りつかれているんだ。だからあんたたちの倍も3倍も働かなくてはならない事情があるんだ」と取り合わず、一生懸命働きました。
早く仕事を覚えたい、早く一人前になりたい、その一心だったのです。会社に一人前と認めてもらうと、独立して請負仕事ができるのです。その当時、私は見習いで日給6000円でしたが、請負で仕事をすれば働いた分だけ収入がふえるのです。収入をふやしたい、倒産時の残債も整理したい、何よりも家族を養わなければならない私としては、1日も早く請負でお金を稼ぎたかったのです。そのために一生懸命働きました。
いまは息子に会社を譲りましたが、それまでは1年365日、1日も休みを取ったことはありません。こんな細腕ですが、根性で頑張りました。そんな私を仲間たちは、「怪物」と呼びました。怪物でも恐竜でもいっこうにかまいません。健康に感謝するのみです。
思えば、私は死の淵をさまよっているとき、母の声と娘の言葉に生かされ、猛然と働きはじめました。倒産したのは55年ですが、八起会に入会したのはその前年です。読売新聞の記事を読んで、すぐ八起会へ連絡しました。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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