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ブログ・野口 誠一
第367回:とうとう禁じ手を・・・
2012年7月2日
Yさんの体験発表は続く。
──平成8年以降、赤字と借金だけが積み上がっていく苦しい経営が続きました。本来なら会社の規模を縮小し、適正な損益ラインへ導かねばならなかったのですが、私はそれを怠りました。銀行関係はすべて経理マンに任せ、自分は営業に専念しました。売り上げさえ増やせばなんとかなる、その甘い考えを捨てきれなかったのです。しかし、その営業も思うにまかせません。納入先から値引き要請が相次ぎました。私はライバル他社にシェアを奪われることを恐れ、その要請に応じざるを得ませんでした。
こうして累損が1億2000万円になったところで、私はとうとう禁じ手をつかってしまいました。粉飾決算です。在庫を大幅に水増ししたのです。同時に、銀行は私の申し込みに応じるどころか、いともあっさりと新規融資を打ち切ってしまいました。万事休すです。といって会社を潰すわけにはいきません。
私をはじめ、他の役員連も個人の金を会社に注ぎ込みました。それでも足りずに親から親戚中から借り集め、なおも足りないところは得意先に頭を下げ、売掛金を約定の支払い日前に回収してピンチをしのぎました。しかし、実態としての経営は、すでに破綻していたようなものです。
こうした苦しい状況のなか、さらに追い討ちをかけるような事態が発生しました。メーンの取引先であるコンビニから、現状2便の納品を3便に増やし、しかもそのリードタイムを大幅に短縮するように要請されたのです。リードタイムとは、得意先から注文を受け、先方の指定場所へ納品するまでの時間のことです。その短縮要請は到底不可能なものでした。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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