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ブログ・野口 誠一
第383回:オイルショックを逆手に
2012年10月22日
(担保を確保し、銀行の融資を受けたAさんは、ただちに新工場の建設に着手していく)
──昭和43年、2200平方mの第一号棟が完成しました。翌44年に二号棟と三号棟、46年四号棟、48年五号棟と次々に完成し、合わせて1万1000平方mの工場群が出来上がりました。私はそこまでかなり強気に設備投資を行いましたが、念願の工場群が完成した直後、オイル・ショックが日本を直撃しました。
石油の9割以上を海外に依存する日本は、たちまちパニックに陥り、産業も経済も沈滞を余儀なくされましたが、私の経営はいたって順調でした。そのことに自信を深めた(あるいはのぼせあがった)私は、さらに強気の経営を推し進めました。生意気にも、オイル・ショックを逆手にとり、ビジネスチャンスにつなげようと考えたのです。具体的には、日本の石油と人を使ったビジネスがダメなら、外国の石油と人を使えばいいと思いついたのです。それが台湾進出です。
両親も幹部社員も大反対でした。それを強引に説得し、私は60万ドル(当時は1ドル=305円。すなわち1億8300万円)を投資し、台湾へ「金属工業」の株式会社を設立しました。その60万ドルはすべて借入金です。無謀と言えば無謀ですが、私の自信(あるいは過信)と若さ(38歳)がそうさせたのです。昭和50年1月15日、台湾の高雄輸出加工区内でテープカットが行われました。日本側の来賓は新日鉄、神戸製鋼、三井物産、日商岩井の面々。台湾側は経済部次長でした。このときが、わが人生最良のときであったかもしれません。
(禍福はあざなえる縄の如し。この絶頂期にあったAさんに、魔の影が忍び寄りつつあった)この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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