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運送会社
大安 平川隼人社長「100年続く会社を目指していく」
2020年10月9日
大安(平川隼人社長、北九州市八幡西区)は、昭和43年12月に設立、今期で53期目を迎えている。
ダンプカー1台での限定免許でスタートした同社は当時、セメントの原料輸送を手掛けていたという。
昭和60年に一般貨物運送事業の免許(当時)を取得し、運送会社として新たなスタートを切る。平川社長は、平成18年に入社するが、「親の会社に入ることに抵抗を感じていた」と当時を振り返る。そのため、大学卒業後は、家業ではなく、大手カー用品販売会社へ就職し、神奈川県川崎市でサラリーマン生活を送っていた。しかし、その時、家業では大変な問題が発生していた。同社は大手路線会社の仕事を請け負っていたが、その路線会社が経営破たんしたのだ。同社もそのあおりをまともに受けてしまった。
傷口が深く、立て直しが急務の中で、母親から同社長に戻るようにと声が掛かった。母親の声に素直に従った同社長は、「抵抗しながらも、将来継ぐということをどこかで感じていたのかもしれない」と打ち明ける。
父親である社長に頭を下げて1ドライバーとして入社した同社長は、4トン平に乗り、地場配送に携わった。大型免許も取得し、大型も運転しようとしたが、社長や当時の幹部に止められた。大型が運転できなかったため、ドライバーの横に乗るなど、とにかく現場の仕事を頭に叩き込んでいった。
現場のことを知れば知るほど、社内体制を整えることの必要性を痛感したという同社長は、総務部長になり、社内の改革に乗り出す。
第一弾が社内報「夢トラ」の発刊だった。社内で情報が行き渡らず、十分なコミュニケーションが図れない。「まずはどんな会社か、従業員やその家族に知ってもらうことからスタートした」という。毎月の給料日に明細とともに、「夢トラ」を同封した。目を通してくれているかわからなかったが、とにかく、毎月同社長が自ら手作りで作成した。毎月欠かさず発行し、今年7月で第130号となった。発刊してから10年が過ぎ、もうすぐ11年になる。「夢トラ」は、同社にとってなくてはならない存在となり、今では、従業員とその家族だけでなく、顧客や取引先などにも配布しているという。「自社を知ってもらうこと、そしてコミュニケーションツールとして大いに役立っている」と同社長は話している。
一方、社内整備を進める中で、コンプライアンスの徹底にも注力する。ドライバーの抵抗を受けながらも全車にデジタコを導入したときは、「ドライバーからドライだと非難も浴びた」という。
しかし、皆のためと妥協はしなかった。7年前の平成25年に副社長に、そして2年後の同27年に社長に就任するが、社長とはいえ、代表権は父親である会長が持ち、あくまで取締役社長だった。しかし、資金繰り以外はすべてこなすようになった同社長は昨年6月に、父親から代表権を譲り受け、晴れて代表取締役となった。
同社はトラック85台保有し、トレーラ、大型平、ウイング、4トン平、ウイング、2トン平、バン、ダンプカーなど、その車種は多種多様で、配送エリアも地場から長距離までこなす。さらに仕事も路線の集配や建設関係、家電、通販、引越まで、車種同様に幅広く展開している。
創立から半世紀が過ぎた。同社長は、「紆余曲折を経てきたが、基礎づくりに取り組み、会社の土台ができた」とし、「100年続く会社、そして100億円の価値のある会社、さらにみんなでニコニコできる会社、そんな会社を目指していきたい」と抱負を述べている。
◎関連リンク→ 株式会社大安
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