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    4年後に年商100億円企業めざす 安房運輸

    2009年11月19日

     
     
     

     2度にわたるオイルショックで、数千万円という累積赤字を抱えた企業は、銀行にも見放されるという辛酸をなめた。そうした苦難を乗り越えた安房運輸(西郷隆好社長、千葉県館山市)は、大手事業者と提携を結んだことで風向きが変わり、荷物の少ない房州という地で年商50億円を超える企業に成長した。


    
 同社は創立70周年を迎える4年後に年商100億円という企業像を描き、目標達成に向け奮闘を続けている。同社は昭和18年、政府主導の企業統合によって、運送会社8社が合同して設立された。特積みがメーンで、木更津、鋸南、館山、千倉をエリアとして、大手路線業者の仕事を手掛けていた。
    1119awa1.jpg 西郷社長は、昭和37年に同社の前身であった安房貨物自動車に入社。入社当時、従業員は106人いたものの、車両は39台で、誇れる規模の会社ではなかった。「荷物だと他人に頭を下げなくていい」と入社理由を話す同社長だが、総務を経験した後は営業課に配属され、最も嫌いだった頭を下げる仕事につくことになる。
     木更津営業所の所長、本社の作業課長を経て、昭和47年に営業課長に就任。「当時は、月800万円の売り上げがあれば黒字になっていた」と振り返る同社長は、昭和53年に営業部長に、同54年には取締役に就任する。
     順調に歩みを進めた同社長だったが、それとは裏腹に会社の業績は思うように伸びていなかった。2度のオイルショックの影響で経済不況に陥った日本経済にあって、大手荷主の倒産に遭遇するなど同社も苦しんでいた。同社長によると、昭和54年には累積赤字は約6000万円に達していたという。
     当時はこれといった資産もなかったため、銀行もそっぽを向き、なかなか融資も受けられない厳しい現実が待っていた。しかし、日本経済が再び右肩上がりになると同社も順調に業績を回復、累損は徐々に解消されてきた。
     平成元年、同社にとって今後を左右する仕事に出会う。佐川急便との出会いだ。当時、常務だった同社長は、路線業者との提携を模索していた佐川急便と接触、提携の話を詰めていった。佐川の木更津にあった営業所を、安房の委託営業所として申請、本格的に取引が開始された。
     佐川とともに同社は成長し、毎年20台ずつトラックは増えていった。平成4年に専務、その2年後には社長に就任。会社の先頭に立って指揮を執ることになる。同7年にはトラックは202台、従業員は300人を抱えるまでになっていた。その後も成長を続け、同19年には車両が356台、従業員が400人を超えた。
     グループで400台を超え、20年度の売り上げは55億円。地場産業が少なく荷物が見込めない房州の地で、ここまで成長した企業は周囲も異例だと認める。
     同社長はさらに先を見据える。昭和18年に産声をあげた同社は、4年後に70歳の誕生日を迎える。そのときに、「年商100億円の企業になっているよう、積極的に営業展開を行っていきたい」と話している。
    関連リンク→ 安房運輸株式会社

     
     
     
     

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