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  • 射界

    2016年8月29日号 射界

    2016年9月2日

     
     
     

     夏も終わろうとする一夜、庭先で子どもらと線香花火に興じる。花火の火花が跳ねた弾みで火玉のカケラが親の手元に飛ぶ。慌てた親は前後の見境もなく、火玉を手で払う。その火玉が隣にいた子どもにあたり、子どもが火傷を負う。こんな有り様を「熱火を子に払う」と昔から言い伝え、そんな行為の浅ましさを諌めている。



     ▲我が身に降りかかった災難を、自身で始末しなければならないのに、関係ない周囲の人に転嫁してしまう浅ましさを非難しての教えだ。我が身可愛さのあまり、周囲の人に肩代わりさせる卑劣な行いである。ましてや一番かわいいわが子に転嫁してしまうのは、人間としてどのように非難され、蔑まれても反発のしようがない。親子の場合はともかく、一般の人間関係でも当てはまることだ。

     ▲ファミリーの真の喜びは、子どもたちに尊敬されると同時に子どもたちをも尊敬し、必要なだけの教育を施すことになるものの、決して程度を超えないことを知っている親たちだけに与えられるものだ。そんな親たちであれば、子どもたちが独立して我が道を歩もうとするとき、世間によくある親との諍(いさか)いも知らずに済まされる。よくある企業の承継を巡る親子喧嘩もなくなる。

     ▲子どもは自分のものであって、自分のものではない。だから既に分立しているのだから、この世に生を享けた人間の一人と捉えるべきだ。そう考えれば、自分のものであれば他に劣らない教育を施し、自立できるだけの能力を与えなければならない。併せて、自分のものではないので開放して全てを彼ら自身のものたらしめ、一個の独立人として尊重しなければならない。ここが要諦だ。

     
     
     
     
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