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射界
2017年8月7日号 射界
2017年8月3日
「死なれぬ難面(つれな)くて、さりとは悲しくあさましき」と、井原西鶴の作品『好色一代女』に出ている。西鶴と言えば、元禄文学を代表する芭蕉や近松と名を連ねる存在だが、この言葉は、「毎日がつらくて死ねるものなら死んでしまいたい。でも死のうにも死ねない切なさ、まことに浅ましい」といった気持ちを語る。
▲現世は、いつの時代にあっても自分の思いを前に出して生きようとすれば、どうしても現実とぶつかって思うように生きられず、なにかが障害となって立ちはだかる。だから生きることの悲しさを背負って悩み続けるようだ。人生とは悲しい思いを抱きながら、耐えて生きることかも知れない。しかし、人として生を享けた限り、困難があっても死ぬまで懸命に生きなくてはならない。▲生を享けて生きるうえで、過大な障害に遭遇して悲しみながら嘆くのを避けて、たとえ小さな喜びでも満足する方向へと導くべきであろう。食べ物でも衣服を整えることであってもよい。いずれも人にとって障害とはならず、一時的でも喜びは喜びとして心を満たしてくれるはずだ。人は今、趣味嗜好に興じる。そこに喜びを持とうとする意思表明であり、人に喜びを与えてくれるのだ。
▲人は生来的に賢い。時代に合わせ、生きるうえで役立つ文化を創り上げてきた。つらさや悲しみを少しでも和らげようと、笑いや快活さを世に送り出している。自分だけが喜び満足するのでなく、広く多くの人の喜びを共有しようとする絆が織り込まれている。喜びは分かち合うことで倍加する。困難を乗り越えて現世に生きられるのは、喜びを広く共有したいという思いがあったからだろう。
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