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    東上通運 鈴木孝明社長 「誇り」を持てる会社に

    2016年1月8日

     
     
     

     【埼玉】昭和18年、国策会社として誕生した東上通運(川越市)。昨年10月、同社の7代目社長に就任した鈴木孝明氏。通運事業を取り巻く環境のめまぐるしい変化のなか、一般貨物の仕事を広げるだけでなく、多角化を進めることで対応してきた同社。さまざまな事業に乗り出す中でも、「背負っているのは運送業の看板」という矜持を忘れることはなかった。同社長は先人の意志を継ぎ、地域に根差した仕事をすること、そして、働く人たちが誇りを持って仕事に取り組める会社を目指す。
     同社の売り上げの約8割を占めるのが輸送や倉庫、荷役などの物流部門だ。同社長によると、「今はトラック70台ほどで落ち着いている」という。通運事業をメーンにしてきた同社だが、45年前、東上線が貨物を廃止したことで業務内容の大幅な見直しを迫られることとなった。一方的に仕事を失ったが、これによって逆に「運送の仕事を軸に、多角化に着手するきっかけとなった」という。
     旅客の認可を受けてタクシー事業を始めたほか、不動産、人材派遣、葬祭事業と、現在の東上通運グループを支える柱を開拓していった。


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     運送事業では、「なにがメーンかと聞かれると困る」という同社長。それは、貨物廃止後の同社が、分野を選ばず様々な仕事を手がけてきたことが影響しているという。
     20年前は、平ボディーが保有車両の8割を占めていたという同社は、建機メーカーの生産拠点から港まで、輸出用の大型建機を運搬していた。「タイヤ一つとっても大きく、それだけを積んで大型の平ボディーを走らせることも頻繁にあった」。当時の物流部門の売り上げの半分近くを占める仕事だったというが、荷主の拠点集約に伴い、その後に撤退した。
     それからは国内メーカーの生産拠点が海外に移ったことで需要が増した海上コンテナを徐々に増やし、7年前の最盛期には、毎日50台ほどのトレーラを動かすまでになった。しかしコンプライアンスを重視するなかで、海上コンテナの仕事を続けることが難しくなるとともに、燃料費高騰も加わり、部門一の稼ぎ頭となっていた海コンも減車を余儀なくされ、今は自社では1台を残すのみとなった。方向転換した同社は、それまでほとんどなかったという箱車やウイング、冷凍車を導入し、新たな仕事を開拓していった。現在の同社の主力は2トン、3トンで、地元の学校給食配送や菓子類などの食品を多く扱っているという。
     50年以上前から、全国各地の通運間でのネットワークが確立しているという同社。「このネットワークを生かし、地元に密着した仕事をこなしていきたい」と抱負を語る。
     「就任してすぐ、全社員に向けて手紙を書いた」という同社長は、「『運送業は企業の地位は高くはないかもしれないが、運ぶ・守る・維持するという、人々や地域のライフラインなんだ』と、胸を張って頑張ってもらいたいという気持ちを込めた」とし、「自分の仕事に疑問を感じたときに思い出して、また東上通運の一員として一緒に頑張ろうと思ってくれたらうれしい」と話している。
    ◎関連リンク→ 東上通運株式会社

     
     
     
     
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