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    永山運送・志村社長「着実なIT化が自慢」

    2007年8月7日

     
     
     

     東京・多摩地区を拠点に生鮮食品を、徹底した品質保全と時間管理の下、24時間体制で輸配送する永山運送(志村光明社長、東京都多摩市)。
     「創立30周年には売上高30億円、経常利益3億円達成」をめざしてきたが、今3月期決算で売上高31億円を計上。同社は78年2月創立なので、1年前倒しで達成した。「経常利益3億円にはとても及ばなかった。これは無理だよな、ワッハハハ」と志村社長は豪快に笑う。


     50年代、それまで勤めていた会社を辞め、知人の紹介で紙製品輸送の手伝いを始めた。脱サラしたのは「食うため」と一言。勤め人だった父親が戦争から戻ったとき、会社はなかった。志村氏は七人兄弟の長男として、両親を含む大家族の面倒を見なければならなかった。「当時はよくある話」としながらも「とにかく他人の何倍も稼ぐ必要があった」。
     その後、道路敷設用のコンクリート製品を中心に本格的な運送業に着手。「道路工事は出稼ぎ労働者に頼るため秋口から春先までが忙しく、あとは閑古鳥が鳴いていた。従業員をクビにもできず、冬場に稼ぎ、夏はそれを食いつぶす状態」が何年か続いた。ある夏、牛乳運搬の依頼を受ける。「平ボディーにケースごと牛乳を積み、その上から粉々にした氷をスコップでかけて」運んだ。原始的だが当時はどこもそういう方法だった。「食品や飲料は夏も忙しく、1年中仕事がある」ことに注目、積極的な開拓に乗り出す。
     かなり忙しくなり「運送免許を取ろう」と決意するが現在と違い、免許を取るのは容易ではない。「最低5台を保有し、定期預金に1か月以上の運転資金」がなければおりない。「当時の金額で最低500万〜600万円必要だった。無我夢中で働き、さらに親戚中を駆けずり回り、貯めて」申請し、ようやく免許を手にしたときのうれしさは「生涯忘れられない」。
     十数年前、一大危機に直面する。大口取引先の西友が物流を再編、一方的に車を減らされた。「50台動いているのを突然、半分の25台にされた。月間2500万円から3000万円の売り上げ減となった」。その後も少しずつ車両を減らされた。背景には大手専門物流会社がいて「最新鋭のセンターを建て、低コストで効率的に運営する」と提案、西友がそれに乗った形だった。仕事に自信を持っていたので「ケンカしたが勝てなかった」という。売り上げは大幅減。しかしそれを補い、なお余りあるタネが育っていた。
     「ファミリーマートの配送業務が増えていたため、大きな痛手にならず」に済んだ。「西友の一件で悔しい思いをしたことが、その後の拡大の原動力になった」と回想する。今年73歳になる永山氏は「営業らしい営業はした経験がない。私の世代は大体同じだと思うが『仕事を見て評価してくれ』というだけ」と強調。「年寄りの出る幕じゃない」と話すが「元来新しい物好き」の性格が事業運営にプラスになってきた。
     デジタコは「認可されてすぐ導入」したほか、ドライブレコーダーも「数年前に全車両に装着」。同業他社が手回し式の「計算機」を使っている時代に大型コンピューターを導入し、独自のソフトを開発している。着実にIT化を遂げた同社の管理部門は「人員わずか3人」が自慢だ。(土居忠幸記者)
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    【会社概要】
     78年2月、一般区域免許取得。90年10月、貨物運送取扱事業を開始。その後、大手食品メーカーの物流センター業務を全面受託し、それを中心に拡大。関東圏に相次いで営業所を開く。02年6月には関西営業駐在所を設置。

     
     
     
     
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