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    千代田運輸・水野功社長「ドライバーへの徹底した安全教育体制を構築」

    2007年9月16日

     
     
     

     千代田運輸(水野功社長、東京都日野市)は1953年4月、水野陸送として水野社長の父、勉氏が創業。1956年5月に現社名に変更した。
    「千代田」は皇居の別名「千代田城」に由来する。取引先である日野自動車が当時、宮内庁に納車したトラック「千代田号」にちなんだもの。


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    同社の前三月期決算の売上高は単体で71億2400万円、グループで102億8400万円。「利益率をもっと上げることが課題」と話す水野氏は、1975年に慶応大学を卒業。
    その後同大学ビジネススクールでさらに経営について学び、翌年8月、イトーヨーカ堂に入社。小売りの最先端の現場を体験した。
    「ヨーカ堂で4年半働いたが、後半は本社企画部に配属された。そこはちょうど財務省のような部署で、全店舗の予算管理を担当。会計にSEC基準(米国会計基準)を導入するなど先進的だった」。
    縁故ではないものの「そこで伊藤(雅俊)会長のカバン持ちを2年半務めた」。「経営の神様」とも称された伊藤氏の考え方や決断の場面に直接立ち会えたことは「今の自分に大きな影響を及ぼしている」。
     1982年、日野自動車販売(現日野自動車)に入社。自動車販売全般について学び、多くの友人知己を得て、人脈を構築していった。
    千代田運輸に入社したのは1986年5月。社長である父に学び、経営者として修行を積んでいこうと決意したのも束の間、8月に勉氏は他界、これに伴い二代目社長に就任。33歳だった。
    「世の中は円高不況で、日本の製造業は全部ダメになるのではとの危機感に覆われていた」と回想する。
    当時の同社の売上高は「37億円ぐらい」でメーンは車両輸送。このうち7割以上が商品車輸送だった。
    順風万帆に見える会社経営も「この柱一本では将来厳しい」と考えて旧倉庫を改築し、中継拠点として小回りの効く自動車部品の集約・混載便をスタートさせるなど次々と新事業に挑戦した。
     1988年4月に引越輸送センターを開設、一般の引越市場に参入を果たす。
    キャリアカーを使い「マイカーだって運びます」をキャッチフレーズにしたところ、予想以上に喜ばれた。当時、引越事業者はキャリアカーを持たないため、マイカーを運べず、顧客は自分で運転するしかなかった。「遠方になるとマイカーを放棄するケース」まであった。
     新規事業では現在、自動車シートの組み立て・配送、車室マットの加工など付加価値物流分野が大きく拡大しているほか、当初は自社グループのためにスタートさせた人材派遣事業でも、外注を含み売り上げが伸びている。ドライバーに対する徹底した安全教育体制も水野氏が構築。
     自走員には困難だった安全運転管理も「ドライブレコーダーの装着で可能」となった。ドライブレコーダーは自社の一般貨物も含めて400台以上に導入、6000万円以上を投入した。水野氏は「安全を考えれば高くない」と強調する。
     今後「(市場が膠着化した)キャリアカーでは勝とうと思わないが、自走分野で頑張りたい」という。最近、キャリアカーのトビラが走行中に開き、歩道にいた人を直撃、死亡させる事故が起きたが「あれは1台でも多く積まなければペイできない業界の運賃・料金体系が根底にある。これを改めない限り再発の可能性がある」と指摘、現在副会長を務める日本陸送協会で「提言していきたい」。
    【会社概要】資本金9060万円。従業員139人。全国に関連会社8社を配置する陸送業界の草分け。2002年に環境ISO14001認証を取得。今秋には流通加工上の必要性もありISO9001認証も取得する見込み。

     
     
     
     
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