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    ランドキャリー・森部社長「いち早く顧客ニーズを」

    2007年12月10日

     
     
     

     ランドキャリー(愛知県小牧市)は、97年の設立から10年間で保有車両台数180台、グループ売上高30億円を超えた。しかし、ここまで成長するには、数々の苦難があった。
     森部鐘弘社長は、高校卒業後の80年代末、佐川急便のドライバーとして運送の世界に飛び込んだ。当時はバブル絶頂期で、「仕事をすればするだけ給料がもらえた」と、月給は常に100万円を超えていたという。


     実績を上げれば上げるほど、会社から評価されるのがうれしくて、さらに一生懸命に働いた。そんな森部社長が佐川急便を退社したのは、自分で会社を興したかったから。高校卒業の寄せ書きで、「会社の社長になる」と書いた森部社長。条件では申し分のなかった会社を辞め、さらに上をめざす決意をした。
     しばらくは傭車として、中堅運送会社に従事した。そこでも昼夜を問わずに働き、月に300万円を稼ぐようになった。それなら、「節税対策として、形式上の会社を作ったほうがいい」という会社社長の助言でつくった会社がランドキャリーだ。設立後も個人で傭車として仕事を続け、資金ができれば中古トラックを購入して新しい仕事先に回す。その繰り返しで、次第に会社としての形が完成し、独立した。しかし、独立した当初は後悔の連続だった。
     なぜなら、法人化したことでドライバーの社会保険料や給料の支払い、労働時間の順守などで、300万円あった手取りが5万円に減ってしまった。ただ、「それまでドライバーの経験しかなかったから、何も知らなかった。会社はおカネがかかるものなのだと知り、勉強になった」と振り返る。
     こうして一ドライバーから出発した森部社長だが、さらなる困難が待ち受けていた。会社が軌道に乗りだした平成12年に、メーン荷主だった大手特積み事業者が破綻。当時はトラック25台、売上高3億円だった同社にとって、約1億円の焦げ付きは大きく、「ランドキャリーはもう終わった」と、うわさされた。その当日の朝、銀行が手形の買い戻しを要求。燃料ディーラーも、連日のように様子をうかがいに来るなど、まさに「生まれて初めて、飯がノドを通らない経験をした」という。
     どん底を味わった森部社長。破綻会社が月末を避けて、翌月に倒産を発表するなど取引事業者に配慮。さらに民事再生法が適用され、引き続き取引が継続しただけでなく、運賃が現金決済となり資金繰りがラクになったこと、それにこれまで築いた人脈に助けられるなどして、この危機を脱した。
     以来、同社長は売上高の10%を超える取引をやめた。さまざまな顧客ニーズをいち早く採り入れることに注力。四軸低床トラックやエアサス車などを導入、ドライバー採用もサービス業経験者を重用するなど、接客面を重視した。
     こうして連鎖倒産の危機を退け、同社を成長路線に乗せた。「まだ、勝ち組だとは思っていないが、勝ち組になりたいとは思う」と話す森部社長。目標は20年後に売上高100億円を達成すること。リスクヘッジのために、会社を分散していくことも検討している。
    land300.jpg
    ◎関連リンク→ランドキャリー

     
     
     
     
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