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ブログ・野口 誠一
第399回:数奇な運命をたどる
2013年2月11日
(Aさんは数奇な運命のもとに、サッシ工場の経営者になったと言っていい。以下、Aさんの体験発表のつづきである)
私はA家の婿養子です。家内の両親に家を建ててもらい、病弱な義弟の後見人となる約束でA家の人となり、10年ほど前にはサッシ工場の経営も引き継ぎました。
私と家内の出会いはかなり数奇なものです。私は交通事故で両親を亡くし、大学を中退してバイト生活を送っていました。やがてヤケを起こし、路上生活に陥る寸前のところで、おにぎりと意見をもらったのが当時看護師だった今の家内です。若いのに働く気はないの…彼女は言いました。働く場がないんです…私は答えました。その週末、私は彼女に連れられて埼玉県のサッシ工場に向かいました。彼女の父親の経営する工場です。
そこで働くこと5年、私の生活はすっかり安定しました。そして間もなく、彼女との間に結婚話が持ち上がりました。それはサッシ工場の経営権にもかかわる問題でしたから、A家の間で親族会議が開かれ、ゆくゆくは私が2代目を継ぐことで合意ができました。
本来なら家内の弟が2代目を継ぐはずでしたが、病弱でそれができず、Aさんが後見人となって面倒を見るかわりに、義弟には担保不動産を提供してもらい、連帯保証人になってもらっていました。その担保債権がT信金から整理回収機構へ移り、いきなり競売通知に化けたのですから、私にとっては寝耳に水でした。整理回収機構の取り立ての厳しさは、私も噂ぐらいは知っています。このままでは義弟一家の生活基盤が失われてしまいます。私は居ても立ってもいられませんでした。この記事へのコメント
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筆者紹介
野口 誠一
八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。
HP:https://yaokikai.com -
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