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物流ニュース
SBSグループ 鎌田正彦社長インタビュー(上) 裸一貫から年商4000億円
2021年2月1日
留学資金をためるために上京した青年が、「稼げる」を理由に入社したのが、佐川急便だった。半年で辞めるつもりが、物流の面白さに気づき、気が付けば8年を費やしていた。佐川を辞めた鎌田正彦氏は昭和62年12月、東京都江東区に軽貨物事業を手掛ける関東即配を立ち上げる。
将来に大きな夢を描き、その目標にまい進したという同社は平成15年、ジャスダックに念願の上場を果たした後、M&Aで次々と物流子会社をグループ化、企業規模を拡大していく。同18年にSBSホールディングスに商号を変更すると、同24年に東証二部、翌年には東証一部へ上場を果たし盤石の基盤を固め、同30年にリコーロジスティクスを、そして昨年11月には東芝ロジスティクスのグループ化に成功した。名もない吹けば飛ぶような軽貨物会社が、約30年で年商4000億企業へと変貌を遂げた。成長のキーを「上場とM&A」と指摘する鎌田氏は、次なる目標である「ロジの日本一、年商1兆円」へ向け、アクセルを踏み込む。
宮崎県で生まれ育った鎌田氏は、地元の高校を卒業すると、同級生が大学へ進学するのを横目に、違う道を進もうと進学をやめ上京する。
当時、母親の妹がスイスにある国連に勤めていた関係で、スイスへの留学を志す。「貿易商になろうと思っていた」と鎌田氏は振り返るが、まずはその留学資金を貯めるため、働く場所探しからスタートした。
新聞広告で佐川急便の求人を見つけた同氏は、「初任給が37万円、3か月後には月給53万円との文字が魅力的で、ここなら半年で留学資金が貯められる」と思い、佐川急便へ入社する。19歳の時だ。
留学資金を貯める半年間のはずだったが、いざ働いてみると、「過酷な現場ではあったが、同時に物流の仕事の楽しみも分かってきた」と、気持ちに変化が生まれ、上司の慰留もあり結局、留学を諦め、同社に残り、気が付けば8年が経っていた。
貿易商として起業を考えていたという同氏は、8年を経て、物流での起業を描くようになっていた。昭和62年、佐川を辞めた同氏は、軽貨物事業を手掛ける関東即配を設立する。
佐川時代に培った営業力とノウハウで、仕事を増やしていくが、協力会社探しに手間取った。佐川という冠を捨てた同氏に、同業他社も冷ややかで、しばらく協力を得られない逆風が続いた。
「こんなことで負けてたまるか」。28歳になった同氏は、その逆風をばねにし、仕事に没頭した。「あの時の逆風が、仕事へのモチベーションになり、今もそれが源流にある」と、同氏は振り返っている。
5年後、逆風を乗り越えた同社は年商25億円を計上していた。会社として成り立ってきたと感じた鎌田氏は、同社の将来像について考えるとともに、目標を立てた。創業10年で年商100億円、同20年で1000億円、そして同30年で2000億円を目指そうと。
20年で1000億円という目標は、当時25億円程度の売り上げの会社がなかなか描けない目標である。しかし、鎌田氏には目算があった。
そのキーとなるのがM&Aである。同氏は、「急に出てきた会社が何千億円の売上げになるには、M&Aしかない、当時からそう考えていた」というが、この時すでに同氏の頭の中には、M&A戦略があった。
しかし、まだ設立して5年で、年商25億円という売り上げでは知名度もなく、M&Aをやろうにも誰にも見向きもされない。そんな会社で果たしてM&Aができるのか。
実際、当時自動車メーカーの物流子会社の売却話があり、その情報は鎌田氏の耳へも届いた。M&A戦略を描く同社にとって千載一遇のチャンスでもある。すぐにコンペに参加したという同社。相手は、物流大手といわれる総合物流会社。同社は鎌田氏1人でプレゼンを行うが、相手は10人もの人間がやってきて組織的にプレゼンをする。軍配は火を見るより明らかだった。中小企業では決して真似はできない。資本力の差をまざまざと見せつけられたという。
「M&Aを成功させるには、もっと力をつけなければいけない。会社の規模を大きくしないといけない」ということを同氏は学んだ。しかし、一方で、「年商数百億円の売り上げの会社を数十億円で買えるということが新鮮に感じられるとともに、そこに大いなる可能性も感じた」という。
加えて、「メーカー系の物流会社は今後、親会社と切り離されて売られていく時代が来るということを確信した」ときでもあった。
(続く)◎関連リンク→ SBSグループ 鎌田正彦社長インタビュー(中) 雪印物流のM&A成功で学ぶ
◎関連リンク→ SBSホールディングス株式会社
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